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語学力ゼロ、コネなし、仕事なし、100万円だけ持ってフランスに住むようになるまで。

ニースの生活

語学力ゼロ、コネなし、仕事なし、資金力ゼロから辿りついた道

皆さん、こんにちは!

「フランス留学のススメ」管理人のみもざ(@ihmimosa)です。

今回は、私がどのようにしてフランスに住むようになったのかを皆さんとシェアしたいと思います。

数カ月分の生活費だけを持ってワーホリで渡仏したあの日から、17年の歳月が経ちました。

カナダやハワイなどへ何回も海外渡航を重ねましたが、

その都度、海外在住のチャンスをつかめずにいました。

 

将来の目標をまだ決めかねているけど、どんな進路があるのかな?

少ない資金でも、海外移住や留学が出来る方法はあるの?

などと疑問に思われている方へ、少しでも参考になれば嬉しいです。

それでは早速、大したものではないですが、

私の半生を振り返ってみることにします。

3分ほどで読むことが出来ますので、宜しければ、最後までお付き合い下さい(^^)/

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南仏ニースに住むことになった理由

旅を重ねては、海外移住への夢は叶わず

私は、東京の新宿で生まれ、そしてお隣の埼玉県で育ちました。

小学校を卒業すると、韓国ソウル市の中学に入学、4年間を韓国で過ごして日本に帰国しました。

韓国には、「留学」という名目だったので、高校入試は帰国子女枠に入れず、

中学4年間(予備校1年含む)のブランクを取り戻すのは大変でしたが、

新宿区にある通信制(定時制)高校の情報処理科にかろうじて入学することが出来ました。

通信制の高校は、昼間部でしたが、選択式の授業が多く、自由な校風だったので、

勉強もそうですが、友人の話題などにもついていけず、

せっかく受かった通信制高校には、ほとんど通わないまま中退してしまいます。

その後は、当時の大検(今は高卒認定試験)を受けて、2回目でやっと合格することが出来ました。

冬のカナダ、モントリオール

「いつかフランスに住んでみたいな~」という漠然とした夢はあったものの、

外国で外国人が、長期滞在するには、何かしらのビザが必要で、

当時、ワーキングホリデー制度のあったカナダのモントリオールで1年間暮らしてみることにしました。

なぜモントリオールを選んだかというと、英語と同時にフランス語も公用語だったからです。

もちろん、私はその時、英語も出来なければ、フランス語なんて全く話せませんでした。

アルバイトや派遣の仕事で資金を貯めて、

渡航先のモントリオールでは、日本人経営なら言葉があまり必要ないと、

ツアーガイド、日本食レストランなどで働きながら、

3人の日本人女子と大きな3部屋のアパートをシェアをして暮らしていました。

22才と若かったのもあり、皆で色々な所に出かけたり、

ご飯を作り合ったりしたこの時期は、本当に楽しく、

今思うと私の今までの人生の中で、かけがえのない時間でした。

モントリオールでワーホリを終えてからは、

パリ、ベルリン、ポーランドのワルシャワ、クラコフ、グダンスク、

そしてブラジルなどを周って、日本に帰国しました。

自然に囲まれたカナダの都市バンクーバーは、気候も良く、暮らしやすくてお勧めです。

日本に帰ってきても、外国に住みたい夢は膨らむばかりで、

1年ほど派遣で働いては数十万円の資金を貯め、

その当時、カナダ人の恋人がいたカナダの南西部のバンクーバーに渡航しました。

バンクーバーでは、アメリカのシアトルで学生ビザを取得、ウェブデザインの専門学校を卒業、

バンクーバーに沢山あった日本人や韓国人向けの留学エージェントの一つでも働かせてもらいました。

この時のボーイフレンドとは破局してしまったものの、計3年間のカナダ生活を経て、日本に帰国。

海外移住するのに、富裕層でもなんでもない私は「結婚相手」もしくは「雇用主」を見つけないと

ビザがもらえずに、いづれは日本に帰らないと行けなくなることを思い知ります。

それならば、日本からの旅行客の多いハワイなら何かしらのチャンスがあるかも思い、

ハワイに渡航しましたが、案の定、結婚相手も雇用主も見つからず、

移住の夢はかなえられませんでした。

親を説得するのに、留学+α何かの理由がないと行けなかったので、こじつけなのですが、ハワイではロミロミの学校に通いました。

ハワイ、ホノルルの海岸にて

紆余曲折するうちに、30才はもう直前。これが最後のチャンスだと、当時、抽選だったフランスのワーキングホリデーに応募します。

そして、運よく抽選に通り、ニースに渡仏、100万円ほどの資金を貯めて行ったのですが、

その当時は、1ユーロが160円越え。

通った語学学校とホームステイの費用を払ったら、

為替の影響も手伝って、物価や家賃の高いニースで生活できるのは、ほんの3ヶ月程度。

ひょんなことから、ニースでは、

ハマム(スチームサウナ)併設のSPAでセラピストとして働いていたのですが、

最低賃金以下のお給料に、資金面で崖っぷちに立たされました。

このままだと資金がつきて、帰国するか否かというギリギリの所で、将来の伴侶と出会いました。

そんなこんなで、夫のフランス語の語学学校でマーケティングを担当させてもらい、

そしてPACS(事実婚の届け出)、

結婚、出産を経て、ニース在住17年目になりました。

ついに、フランスの長期滞在ビザを取得しました!

私は、海外に住みたいという夢を叶えるまでに、10年以上の年月を要しました。

紆余曲折ありましたが、最終的に自分の道を見つけることが出来たのは、

周りで支えてくれた家族や友人、そして環境のお陰です。

英語やフランス語が出来なくても、環境が変われば、

住んでいるうちに、日常会話くらいなら誰でも話せるようになるものです。

渋谷のスクランブル交差点に想うこと。やっぱり、東京は日本でも特別だし、世界から見ても実に特別!

便利で治安の良い暮らしが出来る日本という国で、比較的簡単に仕事に就くことができて、

様々な国にビザなしで渡航できる日本のパスポートを持つということは、

スタート地点から大きなアドバンテージです。

もしも、くじけそうになってしまった時は、

このことを思い出して日本人として生まれたことに感謝してみてくださいね。

日本に生まれた時点で、あなたはもう勝ち組です!

そして、あきらめなければ、必ず道は開けるはずです。

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意識し続ければ、必ず夢は叶うよ。

いくつになっても可能性はあるよ。

夢を追いかけて。

皆さんは、何かしら将来の夢を持っていますか?

今まだ模索中という方もいらっしゃるかもしれません。

大きな夢でなくても、叶えたい目標だとか、こうなりたいという姿だったり、

はたまた、どうにかして手に入れたいものでも良いかもしれません。

私は憧れのフランスに住むまでに10年以上の紆余曲折の年月がかかってしまいました。

ですが、その10年間で経験、習得したのは、英語、フランス語、(韓国語)、ウェブデザイン、アロマテラピー、ガイド、ウェイトレス、留学斡旋業務などなど。

「今は使わないかも」というスキルもありますが、

結局、無駄だったことは一つもないようです。

自分に起きることは、全て必要なことで、必要な過程だったように思うのです。

あなたの夢や目標が叶って、欲しいもの、必要なものを手に入れることが出来るように

影ながら、このブログを通して応援していきたいと思っています。

一番大切なことは、その都度、自分の機嫌を取りながら、

気分が良く、ワクワクする道を直観で、進んで行くこと。

フランス留学やフランスの生活に対するご質問、ご相談など、些細なことでもお気軽にご連絡下さいね。

あなたの夢を叶えるお手伝いが少しでも出来たなら、幸いです。

メールアドレスをこちらに記しておきますね。

info@ihnice.net

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