語学力ゼロ、コネなし、仕事なし、資金力ゼロから辿りついた道
皆さん、こんにちは!
「フランス留学のススメ」管理人のみもざ(@ihmimosa)です。
今回は、私がどのようにしてフランスに住むようになったのかを皆さんとシェアしたいと思います。
数カ月分の生活費だけを持ってワーホリで渡仏したあの日から、16年の歳月が経ちました。
その前は、カナダやハワイなどへ何回も海外渡航を重ねましたが、
その都度、海外在住のチャンスをつかめずにいました。

将来の目標をまだ決めかねているけど、どんな進路があるのかな?

少ない資金でも、海外移住や留学が出来る方法はあるの?
などと疑問に思われている方へ、少しでも参考になれば嬉しいです。
それでは早速、大したものではないですが、
私の45年の半生を振り返ってみることにします。
3分ほどで読むことが出来ますので、宜しければ、お付き合い下さい。
南仏ニースに住むことになった理由

旅を重ねては、海外移住への夢は叶わず
私は、東京生まれ、そしてお隣の埼玉県で育ちました。
小学校を卒業すると、韓国ソウル市の中学に入学、4年間を韓国で過ごして日本に帰国しました。
韓国留学という名目だったので、高校入試は帰国子女枠に入れず、
中学4年間(予備校1年含む)のブランクを取り戻すのは大変でしたが、
新宿区にある通信制(定時制)高校の情報処理科にかろうじて入学することが出来ました。
通信制の高校は、昼間部でしたが、選択式の授業が多く、自由な校風だったので、
勉強もそうですが、友人の話題などにもついていけず、
せっかく受かった通信制高校にほとんど通わないまま中退してしまいます。
その後は、当時の大検(今は高卒認定試験)を受けて、2回目でやっと合格することが出来ました。

冬のカナダ、モントリオール
「いつかフランスに住んでみたいな~」という漠然とした夢はあったものの、
外国で長期滞在するには、何かしらのビザが必要で、
当時、ワーキングホリデー制度のあったカナダのモントリオールでしばらく暮らしてみることにしました。
なぜモントリオールを選んだかというと、英語と同時にフランス語も公用語だったからです。
もちろん、私はその時、英語も出来なければ、フランス語も全く話せませんでした。
アルバイトや派遣の仕事で資金を貯めて、
渡航先のモントリオールでは、日本人経営なら言葉があまり必要ないと、
JCBでツアーガイド、日本食レストランなどで働きながら、
3人の友人と大きな3部屋のアパートをシェアをして暮らしていました。
22才と若かったのもあり、皆で色々な所に出かけたり、
ご飯を作り合ったりしたこの時期は、本当に楽しく、
今思うと今までの人生の中で、かけがえのない時間でした。
モントリオールでワーホリを終えてからは、
パリ、ベルリン、ポーランドのワルシャワ、クラコフ、グダンスク、
そしてブラジルなどを周って、日本に帰国しました。

自然に囲まれたカナダ、バンクーバー
日本に帰ってきても海外に住みたい夢は膨らむばかりで、1年ほど働いては資金を貯め、
その当時のボーイフレンドがいたカナダの南西部のバンクーバーに渡航しました。
バンクーバーでは、アメリカのシアトルで学生ビザを取得、ウェブデザインの専門学校を卒業、
バンクーバーに沢山あった日本人、韓国人向けの留学エージェントの一つでも働かせてもらいました。
当時の恋人とは破局してしまったものの、計3年間のカナダ生活を経て、日本に帰国。
海外移住するのに、富裕層でもなんでもない私は「雇用主」か「結婚相手」を見つけないと
ビザがもらえずに、いづれは帰らないと行けなくなることを思い知ります。
それならば、日本からの旅行客の多いハワイならチャンスがあるかも思い、
ハワイに行くも移住の夢はかなえられず・・。
留学する理由をこじつけるため、ハワイではロミロミの学校に通っていました。

ハワイ、ホノルルの海岸
30才を直前に控え、これが最後のチャンスと、当時、抽選だったフランスのワーキングホリデーに応募します。
そして、無事にニースに渡仏、100万円ほどの資金を貯めて行ったのですが、
その当時1ユーロが160円を超えていて、
登録して行った語学学校とホームステイの費用を払ったら、
家賃の高いニースでは3ヶ月程の生活費しか残りませんでした。
アロマテラピーに興味のあった私は、
地元のハマム(スチームサウナ)併設のSPAでセラピストとして働いていたのですが、
最低賃金以下のお給料に、資金面で崖っぷちに立たされました。
このままだと資金がつきて、帰国するか否かというギリギリの所で、将来の伴侶と出会いました。
そんなこんなで、夫が経営している語学学校で勤務し、そしてPACS(事実婚の届け出)、
結婚、出産を経て、ニース在住17年目になりました。

ついに、フランスの長期滞在ビザを取得しました!
私は、海外に住みたいという夢を叶えるまでに、10年以上の年月を要しました。
紆余曲折ありましたが、最終的に自分の道を見つけることが出来たのは、
周りで支えてくれた家族や友人、そして環境のお陰です。
英語やフランス語が出来なくても、環境が変われば、
住んでいるうちに、日常会話くらいなら話せるようになるものです。

渋谷のスクランブル交差点に想う
便利で治安の良い暮らしが出来る日本という国で、仕事に就くことが比較的簡単にできて、
様々な国にビザなしで渡航できる日本のパスポートを持つということは、
スタート地点から大きなアドバンテージです。
もし、くじけそうになってしまった時は、
このことを思い出して日本人として生まれたことに感謝してみてくださいね。
日本人として生まれた時点で、あなたはもう勝ち組です!
そして、あきらめなければ、必ず道は開けるはずです。
意識し続ければ、必ず夢は叶うよ。

夢を追いかけて
皆さんは、何かしらの将来の夢を持っていますか?
今まだ模索中という方もいらっしゃるかもしれません。
大きな夢でなくても、叶えたい目標だとか、こうなりたいという姿だったり、
はたまた、どうにかして手に入れたいものでも良いかもしれません。
私は憧れのフランスに住むまでに10年以上の紆余曲折の年月がかかってしまいました。
ですが、その10年間で習得したのは、英語、フランス語、韓国語、ウェブデザイン、アロマ、ガイド、ウェイトレス、留学斡旋業務などなど。
「今は使わないかも」というスキルもありますが、
結局無駄だったことは一つもないようです。
自分に起きることは、全て必要なことで、必要な過程だったように思うのです。
あなたの夢や目標が叶って、欲しいもの、必要なものを手に入れることが出来るように
間接的ながら、このブログを通して応援していきたいと思っています。
一番大切なことは、その都度、自分の機嫌を取りながら、
気分が良く、ワクワクする道を進んで行くこと。
ご質問や、ご相談など、些細なことでもお気軽にご連絡下さいね。
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